
大学の授業が終わった夕方、ヒロシとエミリーは学生食堂の窓際に座っていた。ヒロシはスマートフォンをテーブルに置くと、少し困ったように笑った。どうやら、友人から英語が得意な人だと思われてしまったらしい。エミリーは紙コップのコーヒーを両手で包みながら、その話の続きを待っていた。
ヒロシ:昨日さ、友達から「エミリーといつも英語で話してるの?」って聞かれたんだ。
エミリー:へえ。ヒロシは何て答えたの?
ヒロシ:「まあ、英語も使うよ」って言ったら、「さすが、英語の達人か。」って、すごく感心されちゃってさ。
エミリー:でも、普段は日本語で話すことのほうが多いよね。
ヒロシ:そうだよね...。昨日も、たまたま友達の英語の質問に答えられたから、完全に勘違いされたみたい。
エミリー:それで、本当のことは言わなかったの?
ヒロシ:うん。「実はエミリーがほとんど日本語で話してくれるんだ」って言うのも、なんか言いにくくて。
エミリー:それで、どうしたの?
ヒロシ:最後に、「いやいや、俺なんて、なんちゃって英語使いだから」って笑ってごまかした。
エミリー:「なんちゃって英語使い」?
ヒロシ:英語は少し使うけど、ペラペラってわけじゃないし、本格的に話せる人とは全然違うってこと。
エミリー:なるほど。「英語ができない」と言っているわけでも、「英語ができる」と言っているわけでもないんだね。
ヒロシ:そうそう。その間くらいかな。「そんなに期待しないでね」って感じ。
エミリー:面白いね。その「なんちゃって」は、自分を少し控えめに見せる言葉なんだ。
ヒロシ:言われてみると、普段は何気なく使ってるけど、便利な言葉かもしれないな。
ヒロシ:あ、そういえば、「なんちゃって」って、ほかにも使うな。
エミリー:ほかにも?
ヒロシ:「好きです……なんちゃって!」とか。
エミリー:ああ、今度は文の最後に付けるんだ。
ヒロシ:そうそう。あれは「冗談だよ」っていう意味に近いかな。
エミリー:でも、「なんちゃって英語使い」の「なんちゃって」とは、少し違う気もする。
ヒロシ:確かに。でも、どっちも「そのまま本気に受け取らないでね」っていう感じはあるかも。
エミリー:なるほど。最初に言ったことの強さを、あとから少し弱めているんだね。
ヒロシ:うん。自信がないときにも使えるし、ちょっと恥ずかしいことを言ったあとにも使える。
エミリー:英語では、同じ一つの言葉では表しにくそうだね。状況によって、言い方を変える必要がありそう。
ヒロシ:日本語では、どっちも「なんちゃって」で済むのにな。
エミリー:でも、共通しているものは見えてきた気がする。自分の言葉と相手の受け取り方の間に、小さなクッションを置いているんじゃないかな。
ヒロシ:クッションか。確かに、「本気だけど、重く受け取らないで」って逃げ道を作ってる感じもあるな。
エミリー:その逃げ道があるから、言いにくいことも少し言いやすくなるんだね。
ヒロシ:そう考えると、「なんちゃって」って、冗談の言葉というより、人との距離を調整する言葉なのかもしれないな。
解説:「なんちゃって」という言葉について
「なんちゃって」は、自分が言ったことや名乗った肩書きを、そのまま強く受け取られないようにする表現です。
大きく分けると、次の二つの使い方があります。
一つ目は、「なんちゃって英語使い」「なんちゃって料理人」のように、名詞の前に置く使い方です。この場合は、「本格的なものではありません」「専門家と呼べるほどではありません」という気持ちが表されます。
二つ目は、「好きです……なんちゃって!」のように、発言の最後に付ける使い方です。この場合は、「今の発言を、そのまま本気に受け取らないでください」という働きをします。
ただし、どちらの場合も、単純に「嘘です」「偽物です」と言っているわけではありません。
「なんちゃって英語使い」と言う人は、まったく英語を使えないとは限りません。ある程度は使えるものの、自分を「英語が得意な人」として強く見せることに抵抗があるため、あらかじめ期待を下げています。
また、「好きです……なんちゃって!」という発言にも、本当に冗談である場合と、少し本音が含まれている場合があります。「なんちゃって」と付けることで、自分の感情を完全には否定せず、相手の反応を見られる余地が残されます。
つまり、この言葉は、内容そのものよりも、誰が、何に対して、どの程度本気なのかを調整する表現です。
ヒロシの「なんちゃって英語使い」は、ヒロシが自分の英語力に対して、「少しは使えるけれど、本格的な話者として期待されるのは困る」と感じている状態を表しています。
語構造の分析
「なんちゃって」は、「なんて言っちゃって」が縮まった話し言葉だと考えられます。
「言っちゃって」は、「言ってしまって」が口語的に変化した形です。そのため、もともとの感覚には、「そんなことを言ってしまったけれど」という、自分の発言をあとから軽く振り返る響きがあります。
「こんなことを言ってしまって、自分でも少しおかしいですね」という照れや冗談の感覚が、現在の「なんちゃって」に残されています。
名詞の前に付く「なんちゃって料理人」などの使い方でも、「料理人などと言ってしまっていますが、本格的なものではありません」という発想が背景にあります。
つまり、「なんちゃって」には、いったん自分の言葉を前に出し、その直後に少し引き戻す動きがあります。
英語訳との構造比較
「なんちゃって英語使い」に近い英語表現としては、次のような言い方があります。
I’m not a real English speaker or anything.
私は本格的な英語話者というわけではありません。
I’m just a kind of amateur English user.
私は、いわば素人の英語使いのようなものです。
I only pretend to know what I’m doing.
分かっているように振る舞っているだけです。
英語では、「本格的ではない」「専門家ではない」「それほど期待しないでほしい」という情報を、文章の中で具体的に説明する傾向があります。
一方、日本語の「なんちゃって」は、どこまで本気で、どこから冗談なのかを明確に決めないまま、発言全体を柔らかくできます。
文末の「なんちゃって」に近い英語には、次の表現があります。
Just kidding.
冗談だよ。
I’m only joking.
ただの冗談です。
Or maybe not.
でも、ひょっとしたら冗談ではないかもしれません。
「Just kidding.」は、「今の発言は冗談です」と明確に示す表現です。そのため、場合によっては日本語の「なんちゃって」よりも、発言をはっきり取り消す印象があります。
日本語の「なんちゃって」には、発言を完全に撤回するのではなく、「本気かどうかは、あまり深く追及しないでください」という曖昧さが残る場合があります。
近いが異なる英語表現との比較
「fake」は、「偽物の」「本物ではない」という意味を持ちます。しかし、「なんちゃって英語使い」を「a fake English speaker」と訳すと、英語力をごまかしている人、あるいは他人を欺いている人という否定的な印象が強くなります。
「なんちゃって」には、自分の不完全さを笑いながら認める響きがあるため、必ずしも「fake」とは一致しません。
「wannabe」は、「何者かになりたがっている人」という意味です。「a chef wannabe」であれば、「料理人になりたがっている人」という意味になります。しかし、「なんちゃって料理人」は、必ずしも本物の料理人を目指しているとは限りません。趣味で料理をしている人が、軽い冗談として名乗る場合もあります。
「sort of」や「kind of」は、「ある意味では」「一種の」という曖昧さを加えます。
I’m kind of the English guy in my group.
グループの中では、いちおう英語担当のような存在です。
この表現は「なんちゃって英語使い」に比較的近いものの、自分を笑う感覚や、期待を下げる働きまでは必ずしも含まれません。
「self-styled」は、「自称の」という意味です。
a self-styled expert
自称専門家
ただし、「self-styled」には、本人は専門家を名乗っているが、周囲はそう認めていないという批判的な響きが出ることがあります。「なんちゃって専門家」の親しみやすい自己表現とは、語調が異なります。
文化的・社会的意味の翻訳
「なんちゃって」は、情報を正確に伝えるためだけの言葉ではありません。自分と相手との距離や、その場の空気を調整するための言葉でもあります。
自分を高く見せすぎたくないときには、謙遜の働きをします。
相手に過剰な期待を持たれたくないときには、予防線の働きをします。
少し大胆なことや恥ずかしいことを言ったときには、照れを隠す働きをします。
相手が困った反応を見せたときには、「冗談として受け取っても構いません」という逃げ道を作ります。
英語で説明する場合は、単に「It means ‘just kidding.’」と訳すだけでは、この対人関係上の働きが十分に伝わらないことがあります。
「なんちゃって」は、発言を取り消す消しゴムというよりも、言葉の衝撃を弱めるクッションに近い表現です。
ただし、そのクッションが常に親切に働くとは限りません。本音を冗談のように見せたり、責任を曖昧にしたりするためにも使われます。相手によっては、「本気なのか冗談なのか分からない」と感じることもあります。
その曖昧さまで含めて、「なんちゃって」という言葉の特徴があります。
「なんちゃって」を英語で説明する
“Nanchatte” is a playful expression used to soften something a person has just said or claimed. Before a noun, it can mean that the speaker is not a real professional or does not want to be taken too seriously. At the end of a sentence, it can work like “just kidding,” but it does not always completely cancel the original statement. Sometimes it leaves a little room for the possibility that the speaker meant at least part of it.
「なんちゃって」は、自分が言ったことや名乗ったものを柔らかくする、遊び心のある表現です。名詞の前に置かれる場合は、「本物の専門家ではありません」「あまり真剣に受け取らないでください」という意味になります。文末に置かれる場合は「冗談だよ」に近い働きをしますが、もとの発言を完全に取り消すとは限りません。発言の一部は本気だったかもしれない、という余地が残されることもあります。
It is like placing a small cushion between your words and the other person. The speaker says something, but then uses “nanchatte” to reduce the pressure, lower expectations, or create an emotional escape route.
これは、自分の言葉と相手との間に、小さなクッションを置くような表現です。話し手はいったん何かを言いますが、そのあとに「なんちゃって」を付けることで、言葉の強さを弱め、相手の期待を下げたり、感情的な逃げ道を作ったりします。
JLPTの目安レベル
「なんちゃって」は、日常会話や漫画、ドラマ、親しい人同士の会話などで使われる口語表現です。
語彙そのものは難しくありませんが、冗談、謙遜、照れ隠し、本音の曖昧さなど、文脈によって働きが変化します。そのため、自然なニュアンスまで理解する目安は、JLPT N2〜N1程度です。
※日本語能力試験(JLPT)では、出題語彙の公式リストは公開されていません。このレベル表示は、実際の試験問題や教材に基づいた目安として記載しています。















