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英語では “I” と “you” なのに――日本語の「呼び方」から見える二人の距離

夕方の学食。ヒロシとエミリーは、来週提出するレポートを広げながら休憩していた。エミリーはその日、日本人の学生との会話で「親しい相手でも、“さん”を付けることはあるし、そのほうが丁寧に聞こえる」と聞いたばかりだった。これまでヒロシのことをずっと「ヒロシ」と呼んできたが、ふと「さん」を付けてみたらどう聞こえるのだろうと思った。


エミリー:ヒロシさん、レポートもう終わった?

ヒロシ:……なんで急に「ヒロシさん」?

エミリー:え、変だった?

ヒロシ:変っていうか……なんか急に距離できた感じがした(笑)。

エミリー:そうなの? 今日、「さん」を付けたほうが丁寧だって聞いたから、ちょっと使ってみたんだけど。

ヒロシ:丁寧なのは丁寧なんだけどさ。エミリーに急に言われると、なんか違うんだよ。

エミリー:呼び方を変えただけなのに?

ヒロシ:うん。いつも「ヒロシ」だからかな。「ヒロシさん」って言われると、急によそよそしく感じる。

エミリー:じゃあ、「ヒロシ」って呼ぶこと自体に、私たちの関係が入ってるの?

ヒロシ:入ってる……んじゃない? 言われてみると、考えたことなかったけど。

エミリー:面白いね。「さん」を付ければ丁寧になる、だけじゃないんだ。

ヒロシ:そうだな。別の人から「ヒロシさん」って呼ばれても何とも思わないし。エミリーだから変に感じたんだと思う。

エミリー:ということは、同じ「ヒロシさん」でも、誰が呼ぶかで違って聞こえるんだね。

ヒロシ:そういうことになるな。

エミリー:そういえばヒロシ、自分のことも、私と話すときは「俺」って言うよね。

ヒロシ:うん。

エミリー:先生と話すときも「俺」?

ヒロシ:いや、先生なら「僕」って言うこともあるし、面接みたいなちゃんとした場なら「私」かな。

エミリー:でも英語なら、全部 I だよ。

ヒロシ:……あ、本当だ。「俺」も「僕」も「私」も I か。

エミリー:少なくとも英語では、自分を指すたびに「今日は俺かな、僕かな、私かな」って選ばないよ。

ヒロシ:そこは英語を勉強する日本人、ちょっと楽だな(笑)。

エミリー:その代わり、日本語を勉強する私は大変だけどね(笑)。

ヒロシ:じゃあ逆もそうか。「あなた」も「君」も「お前」も、英語なら基本 you だよな。

エミリー:うん。でも英語でも呼び方は気にするよ。Professor Smith って呼ぶか、John って呼ぶかとか、本人から “Call me John.” って言われることもあるし。

ヒロシ:ああ、英語だって人との距離を気にしないわけじゃないんだ。

エミリー:もちろん。でも Iyou 自体を、相手との関係に合わせて日本語みたいに選び分けることはないね。

ヒロシ:じゃあ、どっちも人との距離は気にしてるけど、それが言葉のどこに出るかが違うのか。

エミリー:そう考えると面白いね。日本語は、自分を何て呼ぶかにも関係が出るんだ。

ヒロシ:相手もそうだな。「エミリー」「エミリーさん」「君」とか。……まあ、俺はエミリーを「君」って呼ばないけど。

エミリー:急に「君」って呼ばれたら、私もたぶん「どうしたの?」って思う(笑)。

ヒロシ:ほら、やっぱり呼び方だけで何か変わるんだよ。

エミリー:じゃあ、「さん」を取ったら親しくなったってこと?

ヒロシ:いや、それがそうとも限らない。仲がいいから呼び捨てにすることもあるけど、言い方や関係によっては失礼に聞こえることもあるし。

エミリー:じゃあ、「さん」があるかないかだけでも決まらないんだ。

ヒロシ:決まらないな。誰が誰を呼んでるかとか、それまでどう呼んでたかとか、その場の空気とか……考えてみると面倒くさいな、日本語(笑)。

エミリー:でも、その面倒くささで伝えられるものもあるんじゃない?

ヒロシ:そうかも。でも英語は Iyou のところで毎回そんなこと考えなくていいんだろ? それは楽だな。

エミリー:うん、それは楽(笑)。でも日本語を話すときは、私も「正しい呼び方は何か」だけじゃなくて、「この人と今までどう呼び合ってきたか」も考えたほうがよさそう。

ヒロシ:俺、呼び方なんて誰のことを言ってるか分かれば、それでいいと思ってた。

エミリー:でも「ヒロシ」と「ヒロシさん」では、同じ人を呼んでるのに違ったんでしょ?

ヒロシ:……違った。

エミリー:じゃあ、人を呼ぶときって、その人だけじゃなくて、二人の間にあるものも呼んでいるのかもね。

ヒロシ:なるほどな。……というわけで、次から普通にヒロシで頼む(笑)。

エミリー:分かった、ヒロシさん(笑)。

ヒロシ:だから、それが遠いんだって(笑)。

解説:「呼称」と人間関係について

日本語では、自分や相手をどう呼ぶかによって、単に「誰を指しているか」だけでなく、その場の改まり方や相手との距離、親しさなどが伝わることがあります。

自分を指す表現だけでも、「私」「僕」「俺」などがあります。

たとえば、同じ人が友人との会話では「俺」、少し改まった場面では「僕」、面接などでは「私」を使うことがあります。人そのものが変わったわけではありませんが、場面や相手との関係によって、自分を指す表現が変わるわけです。

相手側にも、「あなた」「君」「お前」といった表現があります。それだけでなく、日本語では「田中さん」「佐藤先生」「山本先輩」のように、名前・名字・敬称・肩書きなどで相手を指すことも多くあります。

そのため、日本語の呼称を考えるときには、**「誰が誰を指しているか」だけでなく、「誰が、誰に対して、どのような関係の中でその呼び方を選んでいるか」**を見ることが重要になります。

「私・僕・俺」は、英語ではどうなる?

現代英語では、日本語の「私」「僕」「俺」は、主語として使う場合、基本的にすべて I で表せます。

I’ll do it.
私がやります。/僕がやるよ。/俺がやる。

日本語では、どの一人称を選ぶかによって聞こえ方が変わります。しかし英語の I 自体には、「俺」と「僕」と「私」の違いがそのまま組み込まれているわけではありません。

ここで注意したいのは、I が日本語より「表現力が少ない」ということではありません。

英語でも、語彙、口調、文の組み立て方、名前や肩書きの使い方などによって、フォーマルさや親しさを表すことができます。人間関係の情報を、二つの言語が同じ場所に載せているとは限らないということです。

「あなた・君・お前」も you

相手を指す場合にも似たことが起こります。

What do you think?
あなたはどう思いますか?
君はどう思う?
お前、どう思う?

これらは場面によって、いずれも英語では you を使って表すことができます。

しかし日本語の「あなた」「君」「お前」は、単純に交換できる同義語ではありません。相手との関係や場面によって、自然さも聞こえ方も変わります。

そのため、日本語を学ぶときに、

you =「あなた」

とだけ覚えてしまうと、文法的には理解できても、実際の会話では不自然になる場合があります。

逆に日本語母語話者が英語を学ぶ場合、「先生に you と言って大丈夫なのだろうか」と、日本語の「あなた」「君」「お前」の感覚を you に重ねてしまうことがあります。

ここでは、英語の you は日本語の特定の呼称一つと同じものではないと考えることが大切です。

英語にも「呼び方による距離」はある

英語にも、呼び方によって人間関係や場面の違いを表す方法はあります。

たとえば、

Please call me John.
Johnと呼んでください。

という言葉は、単に名前を教えているだけとは限りません。

それまで Professor SmithMr. Smith と呼んでいた相手から Call me John. と言われれば、ファーストネームで呼ぶ関係へ移ることを示している場合があります。

つまり、英語話者が人間関係の距離を意識しないわけではありません。

違いの一つは、現代英語では基本的な一人称・二人称の I / you 自体を、日本語の「私/僕/俺」「あなた/君/お前」のように選び分ける必要がないことにあります。

「呼び捨て」は、親しいという意味?

日本語では、敬称をつけないことを「呼び捨て」と呼ぶことがあります。

ただし、

呼び捨て=親しい

とは限りません。

親しい友人同士だから敬称をつけないこともあります。一方で、相手をぞんざいに扱う場面で敬称をつけないこともあります。

反対に、非常に親しい間柄でも、長年の習慣として「○○さん」と呼び続けることもあります。

つまり呼称だけを取り出して、

「さんがあるから遠い」
「呼び捨てだから親しい」

と機械的に判断することはできません。

呼称+場面+それまでの二人の関係

が重なって、その呼び方の意味が生まれます。

語構造の分析:「呼称」とは何か

「呼称」は、「呼ぶ」の「呼」と、「となえる・名称」を表す「称」からなる語です。

一般には、人を呼んだり指したりするときに用いる名称・呼び方を指します。

今回重要なのは、「呼称」という漢字そのものから日本文化について大きな結論を導くことではありません。

実際の日本語では、「私」「僕」「俺」などの一人称、「あなた」「君」「お前」などの二人称、さらに名前+敬称、役職名、親族名称など、さまざまな形式が人を指すために使われています。

その選択が人間関係と結びつくことがある、という点に注目すると、日本語と英語の違いが見えやすくなります。

英語訳との構造比較

「呼称」は文脈によって form of addressterm of addressway of addressing someone などと説明できます。

ただし、今回扱っているのは「呼称」という単語そのものの翻訳だけではありません。

日本語では、

俺 → I
僕 → I
私 → I

となり、

あなた → you
君 → you
お前 → you

となる場面があります。

辞書的な対応だけを見ると簡単です。

しかし英語にした瞬間、日本語で選ばれていた呼称の違いが表面から消えることがあります。

そのため翻訳では、必要に応じて話し方、語彙、名前の呼び方、文全体の調子など、別の場所で人物同士の関係を表現することになります。

近いが異なる英語表現との比較

pronoun は「代名詞」です。Iyou を説明するには必要ですが、「田中さん」「先生」「先輩」のような呼び方まで含めた今回の「呼称」全体とは一致しません。

name は「名前」なので、これも範囲が狭くなります。

titleMr.Dr.Professor などの肩書き・敬称を説明する場合には使えますが、「俺」「君」などを含む呼称全体を表す言葉ではありません。

今回の意味に比較的近いのは form of addressterm of address です。ただし、それを覚えるだけで日本語の呼称の使い分けが分かるわけではありません。

文化的・社会的意味の翻訳

ここで「日本人は人間関係を重視するから、このような呼称が生まれた」とまで結論づける必要はありません。

それは、日本語の歴史や社会について別の検証を必要とする大きな問いだからです。

今回、現在の日本語と英語を比べるだけでも、一つの違いが見えてきます。

日本語では、人をどう呼ぶかを選ぶとき、相手との距離や場面を考える必要が生じることがあります。

これは、関係を表現するための便利な手段にもなります。その一方で、「何と呼べば自然なのか」を選ばなければならない難しさにもなります。

現代英語では、少なくとも I / you の選択については、その負担がかなり小さくなります。

ただし、英語にもファーストネーム、名字、肩書き、愛称などによって距離を表す方法があります。

したがって、これは、「日本語には人間関係があり、英語にはない」という違いではありません。

むしろ、

「人間関係についての情報が、二つの言語では違う場所に現れることがある」

と見るほうが実際の違いを捉えやすくなります。

「呼称」と人間関係を英語で説明する

In Japanese, the way you refer to yourself or address another person can carry information about your relationship with them. A speaker may use watashi, boku, or ore for “I,” depending on the situation and the people involved. Likewise, there are different ways to refer to or address another person, including names, titles, honorifics, and words such as anata, kimi, and omae.

Modern English also expresses social distance and relationships through names, titles, tone, and expressions such as “Call me John.” However, the basic pronouns I and you usually do not change according to the relationship in the way Japanese forms can. In other words, both languages can express human relationships, but they do not always encode that information in the same place.

Emily
エミリーが英語で説明します。

日本語では、自分をどう呼ぶか、相手をどう呼ぶかに、その人との関係についての情報が含まれることがあります。「私」「僕」「俺」は、場面や相手によって使い分けられることがあります。また相手についても、名前、肩書き、敬称、「あなた」「君」「お前」など、さまざまな呼び方があります。

現代英語にも、名前や肩書き、話し方、あるいは “Call me John.” のような表現によって、社会的な距離や人間関係を示す方法があります。ただし、基本的な代名詞である Iyou は、日本語の呼称のように人間関係に応じて通常使い分けられるわけではありません。つまり、どちらの言語でも人間関係を表現できますが、その情報が言葉のどこに現れるかは同じではありません。

JLPTの目安レベル

N2〜N1程度が目安です。

「私」「僕」「俺」「あなた」など個々の語は、もっと早い段階で学習されます。しかし、それぞれの呼称が相手との関係、場面、丁寧さなどによってどう使い分けられるかを理解するには、より高度な日本語運用能力が必要になります。

特に、「あなた=you」のような単純な対応から離れ、名前・敬称・肩書きなどを含めて自然な呼称を選択することは、中上級以上の学習者にとって重要な課題になります。

※日本語能力試験(JLPT)では、出題語彙の公式リストは公開されていません。このレベル表示は、実際の試験問題や教材に基づいた目安として記載しています。

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