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腹の中に虫がいる?「腹の虫が収まらない」を英語で説明すると

後の講義が終わり、ヒロシとエミリーは大学の学生ラウンジでコーヒーを飲んでいた。いつもならサッカーサークルの話になると声が大きくなるヒロシだが、今日はどこか歯切れが悪い。

昨日の練習後、サークルのメンバーの一人と少し言い合いになった。相手が後輩のミスを一方的に責めたことにヒロシが「それは違うだろ」と口を挟んだのがきっかけだった。話している途中で相手は「分かった、俺が言いすぎた。悪かったよ」と謝り、その場はそれで終わった。

ヒロシもそれ以上は言わなかった。しかし、本当はまだ言いたいことがあった。謝ったことよりも、後輩だけを責めた考え方そのものについて話したかったのだ。もう終わった話なのに、翌日になっても何かが腹の中に残っている。


ヒロシ:昨日のこと、もう謝ってもらったんだけどさ。なんかまだ腹の虫が収まらないんだよね。

エミリー:腹の……虫?

ヒロシ:うん。腹の虫が収まらない。

エミリー:「腹が立つ」は知ってるけど、「腹の虫が収まらない」は初めて聞いた。ヒロシのお腹に虫がいるわけじゃないよね?

ヒロシ:いないよ。いたら別の意味で大事件だよ。

エミリー:よかった。じゃあ、「腹の虫が収まらない」って、どういう意味?

ヒロシ:うーん……まだ気持ちが収まらないっていうか。嫌なことがあって、話は終わったのに、なんとなく納得できない感じかな。

エミリー:怒っているということ?

ヒロシ:怒りもあると思う。でも「腹が立つ」とは、ちょっと違うんだよな。

エミリー:そこが気になる。「腹が立つ」は知ってるけど、「腹の虫が収まらない」とは何が違うの?

ヒロシ:「腹が立つ」は、何かされてムッとしたり、カチンときたりする感じかな。「腹の虫が収まらない」は、その怒りとか不満が、まだ自分の中に残ってる感じ。

エミリー:昨日のヒロシなら、最初に後輩が責められているのを見たときは「腹が立った」。でも、話が終わった今も納得できないから「腹の虫が収まらない」?

ヒロシ:ああ、それは分かりやすいな。俺、まだ言いたいこともあったんだよ。「謝ればそれで終わりじゃないだろ」って。でも、みんなもいたし、そこでやめた。

エミリー:なるほど。じゃあ「もっと言ってやりたかった」という気持ちも、今回は残ってるんだね。

ヒロシ:そう。でも、「腹の虫が収まらない」がいつも「言い足りない」って意味じゃないと思う。今回はそういう感じっていうか。

エミリー:それなら英語も一つには決めにくそう。まだ怒っているなら I'm still angry about it. でもいいし、ずっと引っかかっているなら It still bothers me. も使えるね。

ヒロシ:じゃあ「腹の虫が収まらない」にピッタリ一個の英語があるわけじゃないんだ。

エミリー:たぶんね。納得できないなら It still doesn't sit right with me.、気持ちを手放せないなら I still can't let it go. とも言える。英語では、何がまだ収まっていないのかを言い分ける感じかな。

ヒロシ:日本語は、怒りも不満も納得できない感じも、腹の中の虫にまとめて任せちゃうのか。

エミリー:そこが面白い。「腹が立つ」では腹そのものが立つのに、今度は腹の中に虫までいる。

ヒロシ:俺の腹、忙しすぎない?

エミリー:前には「腹が据わっている」もあったよね。あのときは腹が動かないことが、落ち着きや覚悟につながっていた。

ヒロシ:あったな。立ったり、据わったり、虫が住んでたり……日本語の「腹」って、ただのお腹じゃないんだな。

エミリー:英語から見ると、そこが面白いの。日本語では「腹」が、人の感情や本心がある場所みたいに使われることがあるんだね。

ヒロシ:日本人の俺が、エミリーに言われて初めて気づいてるけどな。

エミリー:母語って、そういうものじゃない? 当たり前すぎて、別の言語から見ないと気づかないこともあるよ。

ヒロシ:じゃあ俺、英語を勉強しながら日本語まで勉強してるのか。なんか得した気分だな。

エミリー:その勢いで、英語の勉強ももう少し増やしたら?

ヒロシ:……今の一言、ちょっと腹が立った。

エミリー:ほら、それはすぐ使えるんだ。

解説:「腹が立つ」と「腹の虫が収まらない」という言葉について

「腹が立つ」と「腹の虫が収まらない」は、どちらも怒りや不満に関係する表現です。しかし、二つは同じ感情を言い換えただけの言葉ではありません。

「腹が立つ」は、何か不快なことをされたり、納得できない出来事に遭遇したりして、怒りやいら立ちを感じることを表します。

「約束を破られて腹が立った」「失礼な言い方をされて腹が立った」のように使われます。

一方、「腹の虫が収まらない」は、怒り、不満、悔しさ、納得できなさなどが自分の中に残り、どうにも気持ちが鎮まらない状態を表します。

今回のヒロシは、「もっと言ってやりたかった」という気持ちも残しています。しかし、「腹の虫が収まらない」そのものが「言いたいことを言い足りない」という意味なのではありません。

たとえば、相手に謝罪されても納得できない場合、理屈では仕方がないと分かっていても気持ちがついてこない場合などにも使われます。

誰が・何に対して・どう感じているのかという構造で見るなら、

本人が、気に入らない出来事や相手に対して抱いた怒りや不満を、まだ感情的に処理しきれずにいる

という状態になります。

ここで重要なのは、「怒りの強さ」だけではありません。

激怒しているから「腹の虫が収まらない」とは限らないのです。

「あの話、もう終わったんだけど、どうも腹の虫が収まらなくてね」

という使い方もできます。

頭では終わったことになっている。しかし感情のほうでは、まだ終わっていない。そのずれが、この表現の面白いところです。

語構造の分析――「腹」はただの stomach ではない

「腹が立つ」は、「腹」+「立つ」という構造です。

文字どおりに英語へ置き換えて my stomach stands up のようにしても、もちろん意味は通じません。

ここでいう「腹」は、単なる身体器官ではないからです。

日本語には、「腹を決める」「腹を割って話す」「腹に一物ある」「腹が据わる」など、「腹」を人間の本心、感情、覚悟などと結びつける表現が数多くあります。

つまり、日本語の「腹」には、身体の内部であると同時に、人間の内面が宿る場所という比喩的な働きがあります。

「腹が立つ」では、その腹が平静ではなくなり、怒りが生じます。

一方、「腹の虫が収まらない」は、「腹」+「虫」+「収まる」+「ない」

という構造です。

もちろん、本当に腹の中に昆虫がいるわけではありません。

日本語では古くから、人間の気分や感情を、自分の内部にいる「虫」の仕業であるかのように表現することがあります。

「虫の居所が悪い」「虫が好かない」などもその例です。

ここで非常に興味深いのは、

「私が収まらない」のではなく、「腹の虫が収まらない」

という構造になっていることです。

本人は「もういい」と思おうとしている。

しかし、自分の内側にいる何かが静かになってくれない。

感情を完全には意志で支配できないという人間の感覚が、「腹の虫」という小さな存在に託されているようにも見えます。

英語訳との構造比較

「腹が立つ」は、英語では比較的直接的に表現できます。

That made me angry.
それには腹が立ちました。

I was annoyed by what he said.
彼の言ったことには腹が立ちました。

英語では angryannoyed のように、本人が感じている感情を直接示すことができます。

ところが、「腹の虫が収まらない」になると、一つの英語だけで対応させることが難しくなります。

It still bothers me.
そのことが、まだ引っかかっています。

I still can't let it go.
まだそのことを気持ちの中で手放せません。

It still doesn't sit right with me.
どうしてもまだ納得できません。

I'm still angry about it.
そのことに、まだ腹を立てています。

どれも「腹の虫が収まらない」になり得ますが、どれも完全には同じではありません。

英語では、「まだ怒っている」のか、「まだ気になっている」のか、「納得できない」のか、「気持ちを手放せない」のかを、文脈に応じて選ぶことになります。

日本語の「腹の虫が収まらない」は、それらを一つの身体的な比喩の中に包み込むことができるのです。

近いが異なる英語表現との比較

I'm still angry. は、怒りが現在も続いていることを明確に表します。ただし、「怒っているというより、どうにも納得できない」という場合には、少し強すぎることがあります。

It still bothers me. は、不快感や引っかかりが残っている場合に自然です。しかし、「腹の虫が収まらない」に含まれる怒りや悔しさが弱く聞こえる場合があります。

I still can't let it go. は、出来事を気持ちの中で手放せないことを表します。「まだ自分の中で終わっていない」という点ではかなり近いのですが、怒りだけでなく、悲しみ、後悔、執着などにも使われます。

It still doesn't sit right with me. は、「どうもしっくりこない」「どうしても納得できない」という感覚を表します。理屈では話が終わっていても、自分の中では納得できないという場面では、「腹の虫が収まらない」にかなり近づくことがあります。

そして今回のヒロシのように、「まだ言いたいことがあった」という状況なら、

I still have things I want to say.
まだ言いたいことがあります。

と、その原因を具体的に説明することもできます。

大切なのは、「腹の虫が収まらない」に対応する英語を暗記することではありません。

その人の腹の中に、いったい何が残っているのか。

そこを考えて英語を選ぶことが必要になります。

文化的・社会的意味――なぜ感情が「腹」にあるのか

英語にも身体を使った感情表現は数多くあります。

しかし、日本語の「腹」は特に興味深い存在です。

怒れば「腹が立つ」。

覚悟ができれば「腹が据わる」。

決心すれば「腹を決める」。

本音で話せば「腹を割る」。

本心を隠していれば「腹に一物ある」。

こうして並べてみると、「腹」は単なる身体部位ではなく、人間の本心や感情、覚悟などが置かれる場所として、日本語の中で働いていることが見えてきます。

そのため、「腹」を英語の stomachbelly に置き換えるだけでは、この文化的な意味は伝わりません。

翻訳しなければならないのは身体部位ではなく、

「日本語では、人間の内面を『腹』という場所を使って描くことがある」

という発想そのものです。

「腹の虫が収まらない」は、その中でもさらに面白い表現です。

自分の感情なのに、自分自身ではなく「腹の中の虫」が主語になります。

理性では「もう終わった」と思っている。

周囲から見ても、話は終わっている。

それでも、自分の内側にいる何かが「まだ終わっていない」と言っている。

その感覚を、日本語は「虫が収まらない」という小さな物語にして表現しているのです。

「腹が立つ」「腹の虫が収まらない」を英語で説明する

“Hara ga tatsu” literally contains the image of the belly rising, but it is a common Japanese expression meaning to become angry or irritated. “Hara no mushi ga osamaranai” is more complex. Literally, it says that “the bug in one’s belly won’t settle down.” The bug is imaginary and represents feelings such as anger, resentment, frustration, or dissatisfaction that still remain inside a person. It can be used when something is technically over, but emotionally, you still don’t feel that it is over. Depending on what remains unresolved, English speakers might say “I’m still angry about it,” “It still bothers me,” “I still can’t let it go,” or “It still doesn’t sit right with me.”

「腹が立つ」は、文字どおりに見れば「腹が立ち上がる」というイメージを含みますが、一般的には「怒る」「いら立つ」という意味で使われる日本語表現です。

「腹の虫が収まらない」は、もう少し複雑です。文字どおりには「腹の中の虫が静かにならない」という表現になります。この虫は想像上の存在で、怒り、不満、悔しさ、納得できなさなど、自分の中にまだ残っている感情を表します。

出来事そのものはすでに終わっているのに、感情的にはまだ終わった気がしない場合にも使われます。

何が心の中に残っているかによって、英語では I'm still angry about it.It still bothers me.I still can't let it go.It still doesn't sit right with me. などと表現できます。

日本語では「腹」という同じ場所を使って、「怒りが生まれること」と「その怒りや不満がまだ鎮まらないこと」を描くことができます。

英語にすると、その共通する「腹」の景色は消えます。

その代わり、英語では「怒りなのか」「不満なのか」「納得できなさなのか」「手放せない気持ちなのか」を、より具体的に言葉にすることになります。

同じ感情を見ていても、日本語と英語では、その感情を切り取る方法が少し違うのです。

JLPTの目安レベル

「腹が立つ」は日常会話でもよく使われる慣用表現で、JLPT N3程度が一つの目安になります。

「腹の虫が収まらない」は、使われている「腹」「虫」「収まる」という単語自体は難しくありません。しかし、それぞれの単語を知っていても、文字どおりの意味から慣用句全体の意味を推測することは簡単ではありません。そのため、JLPT N1〜N2程度を目安として考えることができます。

さらに、「腹」が日本語の中で感情、本心、覚悟などを表す場所として使われることまで理解するには、単なる語彙知識を超えた日本語経験が必要になります。

※日本語能力試験(JLPT)では、出題語彙の公式リストは公開されていません。このレベル表示は、実際の試験問題や教材に基づいた目安として記載しています。

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